018 どうして雨が降るって可能性を考えてなかったんだろうな……。 「昨日はあんなに天気良かったのに……」 「なつめっち、見て見て」 恨めしげに窓の外を眺めていると、背後からあやめのはしゃいだ声が聞こえる。 「どうしたの?」 振り返り、かったるそうに返事をする俺に、 「すごいよ。大好評♪」 と、笑顔でノートPCの画面を指差すあやめ。 全く興味ねえけどな……と思いつつも、席を開けてくれたのでPCの前に座る。 ああ、ブログのコメント欄ね。と画面に目をやった瞬間―― !!!! おい、なんなんだよコレ……。 目に飛び込んできたのは、画面に大量に散りばめられている桂、聡紀、桂、聡紀の文字。 な、なんで本名なんだ!? あまりの驚きに言葉も出ない。 呆然とスクロールしていくと、更に絶望的なキーワードが目に入る。 『なつめっち』 うわあ、しかもフルネームで本名決定だよ……。 ……俺の人生、終わった。 っていうか、このコメントものすごく多くないか? 画面右側の小さなスクロールバーを見つめる。まだ半分にも届いていない。 恐る恐る今度は画面上へとスクロールしていく。 コメント(334) 334!? あんな時間に更新して334件もコメントがつくって……あの小説一体何人が読んでるんだ? 「……あやめちゃん、これどういうこと?」 あやめの目を見つめ、真剣に問いかける。 「何が?」 きょとんとした表情。 何が?じゃねえよ……。 「登場人物の名前、コレ本名だよね?」 諭すように一字一句はっきりと言う。 「あっ、うん。やっぱ同じ名前で書かないと気分が乗らなくって」 笑顔で答えるあやめ。ダメだ。全然通じてねえ。 「気分が乗らないとかじゃなくって!大体夏目桂と桐生聡紀なんて同姓同名が大量にいるような名前じゃないし!」 「あっ、それなら大丈夫!ちゃんと登場人物紹介の所に書いてあるから」 今まで一度だってあやめちゃんの「大丈夫」が大丈夫だったためしがあっただろうか……。 俺のそんな心配をよそにあやめはあるページを表示させる。 「見て」 登場人物 桐生聡紀(仮名):高校2年生。幼少時に出会った桂の事を女の子だと勘違いし、想い続けてきた。黒髪のメガネ男子。 夏目桂(仮名):高校2年生。幼少時の聡紀との記憶は全くない。ヘタレ。 なんかものすごくひっかかる単語が目に入ったんだが、この際それは置いておくことにして―― (仮名)……。 もしかしてあやめちゃんの大丈夫ってこれを指しているんだろうか。 俺には大丈夫というより寧ろ絶望的状況に感じられるんだが。 「いや、このページだけに書いてあっても見ない人もいるだろうし、そもそも(仮名)って書いてあったって――」 「それは、念には念を入れて他のページにもちゃんと書いてあるから大丈夫!」 と、あやめは別のページを表示させ、自信満々に画面を指差す。 『この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。管理人:白咲アヤ』 ……それは常套句だろ。それに自分はちゃっかりハンドルネーム使ってるじゃねえか……。 「あの、もっと根本的な解決を――」 「でも、全部に桂(仮名)、聡紀(仮名)って書くのってくどくないかしら」 「そうじゃなくって!な・ま・えを変えてくれ!!」 「うーん」 考え込むあやめ。 「もう1年以上連載してて、324話まで書いてるのよね……」 「324話!?」 ……煩悩の数の3倍だ。 「今更名前変えても、読者の中では多分ずっと夏目桂と桐生聡紀のままだと思うのよね。それに今名前変えるのってかえって怪しくないかなぁ?」 「まぁ確かにそうかもしれないけど……」 問題はこれをどれくらい人数が見てるかなんだよな。 「このサイトのアクセス数ってどのくらい?」 「うーん、どのくらいだったかな」 あやめがサイトのトップページを表示させる。 上部に設置されているカウンター。 なんかものすごく桁が多いような…… いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん―― 「ろ、ろっぴゃくまん!?」 「あっ、それ延べ人数だから」 当たり前だ。 もし20人に1人に知られているのだとしたら、俺は今すぐにでも日本を脱出する準備を始める。 「だいたい1日に7000人から8000人くらい見に来てくれるの」 1日あたり約7000人から8000人……。 日本の人口は1億2千万人。 意外と少ない……のか? ダメだ。この人数が意味する影響力がどの程度のものなのか全く想像がつかない。 俺はもしかしたらとんでもないことをしてしまったんではないだろうか……。 いや、でもこれはあくまで特殊な趣向の持ち主が見るものであって、一般人にとっては全く興味のないものだよな。 大丈夫。多分きっと大丈夫なはず。 自分に必死に言い聞かせている俺に向かい、 「なつめっち、続き書こっか」 とあやめが笑顔で声をかけてくる。 「…………そうだね」 もう、どうにでもなれ。乗りかかった船だ。 ここまで来ちまったからには、とことん付き合ってやろうじゃないか。 たとえその船がマリアナ海溝に沈もうとも。 俺はキクから借りたノートPCの電源を入れた。 そういえば…… キーボードを叩き続けていた俺は、気にかかることがあったのをふと思い出し、手を止める。 「あやめちゃん、前、黒髪眼鏡攻めが好きって言ってたよね。もしかして好きな受けって……」 口にするのはためらわれるが、思い切って聞いてみる。 「……ヘタレ受け?」 あやめは少し間をおいた後、曖昧な笑みを浮かべ答えた。 「フィクションだよ」 ……そういう事かよ。 「完成!」 高らかに宣言するあやめ。 どうやらエロ3部作が完結したようだ。 暇つぶしのネットサーフィン中に明日の天気も雨だということを知り、一縷の希望も打ち砕かれ傷心の俺は時計を見る。 今からなら十分帰れるな。 「明日も雨みたいだし、今日帰ろっか」 「そうだね」 あやめちゃんと俺を見比べ、なおも首をかしげ続ける律さんとオーナーに別れを告げ、バス停に向かう。 「よりによって雨が降るなんて……」 雨粒を落とし続ける空を見上げ、なおも未練がましく呟く俺に、 「また来年に」 と、あやめが微笑みながら言う。 「来年は受験生だよ」 「じゃあ、再来年」 そんな先のこと……と言いかけるがあやめの表情を見て思い留まる。 「そうだね」 言いながらあやめの左手を握る。 2年後、俺とあやめちゃんはどうなってるんだろうな。 まさか、まだ小説の連載が続いてるって事は……ないよな。 |