023


 何なんだ? これは。
 朝、靴箱を開けた俺の目に飛び込んできたもの、それはスリッパの上に置かれた折りたたまれた白い紙。どうやら手紙のように思われる。
 靴箱の中に手紙。これはなかなかに心ときめくシチュエーションであると思う。
 それが可愛い便箋や封筒であったのならば。
 俺は、スリッパの上のそれを取ると、しげしげと眺める。厚手のA4サイズの紙が4つ折りにされ、更にその上下の部分が2cmくらいずつ折られている。
 甘い雰囲気なんてかけらすらない。そう、これはまるで――
「桂、何それ。果たし状?」
 それだ!!
 視線を上げると、コガタケが不思議そうに俺の手元を見つめている。
 果たし状……いや、でもそんな物を送りつけてくるやつなんていないよな。この時代に。しかもこの俺に。
「まさか。それにそんな心当たりねえし」
「そうだよな。桂みたいなザコキャラ、誰も相手にしねえだろうしな」
 おい。と思いつつ、その手紙をコガタケからは見えないようにそっと開く。
 そこには、非常に達筆な文字でこう書かれていた。



夏目桂殿

本日放課後、校舎裏に来られたし。

蓮行まどか



 来られたしって……しかも、筆書き。
 なんなんだ、これは。真意を掴みかね、まじまじと手紙を見つめる俺の横からコガタケがひょこっと顔を出す。
「やっぱ、果たし状じゃん」
 ……そうなんだろうか。
「でも女の子みたいだし、いくらなんでも決闘はないと思うけどなぁ」
「どっちにしろ、楽しい展開が待っていそうな感じではないけどな。桂、行くの?」
「うーん。もしかして彼女にとってなんか重要な用があるのかもしれないし。行くだけは行ってみようかな」
 これが男からの手紙だったら確実に無視なんだけどな。
「そっか。まっとりあえずこのまどかって子に関しては、俺がリサーチしておいてやるから」
「ああ、サンキュ」
「親友のためだからな」
 こういう時、コガタケは頼もしい。その表情が面白がってるようにしか見えないのが、多少気になりはするのだが。



「ゴメン。俺、今日コガタケと用があるから2人で先帰って」
 授業終了後、あやめちゃんと桐生に声をかける。
「うん、わかった。また明日ね」
 微笑みながら手を振るあやめ、無言で頷く桐生。
 2人が教室から出て行くのを見届けた後、コガタケがボソッと呟く。
「手紙のこと言わないんだ」
「だってまだどんな用かわかんねーし」
「ふーん」
 含みのある言い方だ。
「そんなことより、リサーチの結果は?」
 俺は話を逸らすかのようにコガタケに尋ねる。
「それはまあ、歩きながら話すか」
「そうだな」
 コガタケと2人並んで教室を出る。
「そう、彼女、れんぎょうまどかさんについてなんだが――」
 あの苗字、れんぎょうって読むのか……。
「残念ながら本人には会えなかったんだが、周辺に聞き込み調査をした結果、まずみんなが口を揃えて言うことは――」
 コガタケが一旦言葉を切り、俺の顔をしかと見据える。
「ちょっと変わってる」
 ……それは聞くまでもなく朝、手紙を見た時点でわかったんだけどな。
「他には?」
「剣道部所属。で、お嬢様。純和風大和撫子って感じなんだそうだ」
「大和撫子ねぇ……」
 その響きに憧れを感じるより、思わず身構えてしまうのはなんでなんだろうな……。
「でもってルックスは……」
「ルックスはっ?」
 思わず勢いよく聞き返す。やはりコレは気になる。知っておきたい最重要事項であると言ってもいい。
「それがかなり可愛いらしい。まぁ城ヶ崎さんとは比べものにならないだろうけど」
「あやめちゃんのルックスは神がかってるからな。ところで――」
 俺は後ろを振り返る。
「なんでお前達はついてきてるんだ?」
「桂が決闘を申し込まれたと聞いて、そんな面白い物見ないわけにはいかないと」
 当然の事のように答えるキク。
「なんかワクワクしちゃうよねー」
 可愛い顔で酷い事を言う侑。
「ったく、他人事だと思って……」
 そんな事を言っているうちに、目的地に近づいてくる。
「まだ来てないみたいだな」
 と、コガタケ。
 俺達はとりあえず、近くにあった物置の影に身を潜めることにする。
 そして待つこと数分。
「あっ、来た! 多分あの子じゃね?」
 コガタケの声を聞くと、俺達は一斉にやって来た女子生徒に注目する。

「姫カット……」
「ポニーテール……」
「袴姿……」
 侑、コガタケ、俺の呟きを
「……マニアにはたまんねえだろうな」
 とキクが締めくくる。
 いや、俺、マニアじゃねえから。
「なんていうか、アニメに出てきそうな感じだよねー」
「あぁそんな感じかも。現実に存在するんだな。ちょっと驚いた」
「あれでアホ毛があれば完璧なんだけどな」
 一向に立ち去ろうとせず、世間話を始める3人。
「で、もう見たからいいだろ。コガタケもありがとな」
 しっしっ、と手を振り、追い払おうとする俺に、コガタケがしれっと言う。
「あっ、言うの忘れてたけど、彼女、武道の達人らしいぞ。空手と柔道と剣道と合気道の有段者だって」
「ええぇっ!?」
 ヤバイ。俺、間違いなく瞬殺される自信がある。
「どうする? 俺達ここで見守ろうか?」
 頼む! と言いたいのはやまやまなのだが、ここはやはり――
「いや、ちゃんと明日報告するから帰ってくれ。相手は女の子だし大丈夫だと思うから……多分」

 3人の後ろ姿が十分に遠ざかるのを見届けると、大きく深呼吸する。
 竹刀を持ってないってことは、とりあえず臨戦態勢ではないってことだよな。
 大丈夫!相手は丸腰だ。意を決して、彼女のもとに向かう。
「あの……」
 俺が話しかけるより、一瞬早く、
「夏目先輩、お初にお目にかかります。わたくし、1年7組、蓮行まどかと申します」
 と、まどかが深々と一礼する。
「えっ?あっ、あぁどうも夏目です」
 思わずつられて頭を下げてしまう。
「それで、蓮行さん――」
「まどかとお呼びくださいまし」
 お呼びくださいましって……戸惑いつつも言葉を続ける。
「えっと……じゃあまどかちゃん、今日は一体どのようなご用件で?」
 なんだかこちらの口調までおかしくなってしまう。うーん、なんだか調子狂うな。
 まどかは、姿勢を正すと非常に真摯な表情で話し始める。
「わたくし、女たるもの、男性に守ってもらう事が当然と教えられ、そう信じてまいりました」
 俺の顔をしっかりと見つめるまどか。
「でも、ミス陵高での夏目先輩をお見受けして気付いたんです。わたくしは守られたいのではなく、守りたいのだと!」
 なんなんだ? この流れは。
 あからさまに不審げな表情を浮かべているだろう俺をよそに、まどかは拳を握り締め力強く言い放つ。
「わたくし、夏目先輩のことを全力でお守りします!!」
 …………。
「いや、特別危険に晒されてる身でもないんで、守ってもらわなくても大丈夫なんだけど……」
 言いながら、ふとあることが頭をよぎる。
 あやめちゃんに文芸部の2人。もしかしてこのまどかちゃんも……。
「……まどかちゃん、攻めの反対は?」
 恐る恐る口にしてみる。
「守り!ですわ」
 片足を引き、構えの姿勢をとるまどか。
「大正解!!」
 よかった。これ以上厄介なことに巻き込まれるのは、さすがに避けたいからな。
 ほっと胸を撫で下ろしている俺の前で、まどかが腕時計に目をやる。
「申し訳ございません。わたくし、そろそろ部活に戻らねばなりません」
「えっ?」
「それでは、今後ともよろしくお願い致します」
 まどかはまたしても深々と一礼すると、さっと身を翻し去って行ってしまう。
 ……なんだったんだろう。
 取り残された俺は、しばらくただ呆然とその場に立ちつくしていた。



「グッモーニン、マイハニー♪……ってなんだ無傷か」
「おい、なんだとはなんだ」
 明らかに落胆した様子のコガタケの頬をつねっていると、横を通り過ぎたキクがチッと舌打ちをする。
 ?
 と、そこに侑がやってくる。
「あーっ、桂無事だったんだぁ。コレで僕、3連勝だね」
 ……おいお前ら、心配してたんじゃねえのか? 何賭けてるんだ。しかも3連勝って……。
「で、桂、昨日はどうだった?」
 と、とってつけたように尋ねるコガタケ。
 ……誰が言うかよ。



 昼休みの食堂、3人は昨日の話で盛り上がっている。
「アニメに出てきそうって表現は秀逸だよな」
 と、キク。
「なんか、牛車で学校来そうなタイプだもんな」
 と、コガタケ。
「そうそう、それで重箱のお弁当とか持って来るんだよねー」
 あははっという侑の笑い声が、ドンッとテーブルに物を置く音にかき消される。
 目の前には風呂敷に包まれた四角い物体。
 驚いて顔を上げた先にはまどかの笑顔。
「夏目先輩、御相伴させてくださいませ」
 まどかが風呂敷の結び目を解くと――
 ……中から黒塗りの三段重箱が現れた。
 あっけにとられていた俺達だったが、まどかが重箱の蓋を開けた途端、おおっ! とその素晴らしい出来栄えに思わず歓声を上げる。
「これ、全部まどかちゃんが作ったの?」
 料理は全くしない俺でも、これにはかなり時間も手間もかかっているだろうことはわかる。
「はい、夏目先輩のために心を込めてお作りしました」
 重箱の中身を手際よく取り分けながら、にっこり微笑むまどか。
 可愛い。そしてとても嬉しい。
 思えば今までこんなに好意を全面的に示してもらったことってあっただろうか。
 玲香ちゃんはあの性格だし、あやめちゃんに至っては――
 ふと、ある疑念が頭をよぎる。
 ……あやめちゃんって、俺のことどう思ってるんだろう。
 思えば今まで「好き」とか言われたことって一度もないよな。
 大体あやめちゃんが俺の告白にOKしたのは小説のため。しかもその小説のモデルになった理由ってのが、言いたくはないが「ヘタレ」だ。好印象とはあまりにも程遠い。
 もし、あやめちゃんの俺に対する印象が当初と変わってないとしたら……。
 俺ってただの萌え要員。
 いや、それならまだいい。
 もしかして、俺はただエロを書くためのマシーン。エロノベルジェネレータとしてしか見られていないかもしれない。
 まっさかそれはなぁ。って……十分にありえる。
 俺とあやめちゃんもいつか普通の恋人みたいな関係になれると思っていたけど、あやめちゃんにその気が全然なかったら進展しようがないよな。
 事実、今までほとんど進展してないし……。
 ヤバイ。考えてたらマジへこんできた。
 あやめちゃんとこのまま付き合い続けて行くことに意味ってあるのかな……。
「お口に合いませんでしたか?」
 声をかけられ我に返ると、まどかが不安そうに見つめている。
「あっ、ゴメン。美味しいよ。ありがとう」
「お褒め頂き光栄です!」
 快活な笑みを浮かべるまどか。
「たくさんありますので、皆様もどうぞ!」
 
 美味しかったよ。ありがとう! と口々にお礼を言う俺達に一礼し、
「それでは失礼致します!」
 と退席するまどか。
 その後姿を見ながらコガタケが、
「なんだ桂、彼女にコクられたんだ」
 と、意外そうに言う。
「いや、コクられてはいない……と思う。守ってくれるって言ってた」
「なんだそれ」
「俺にもよくわからん」
 その言葉の意味も。そしてこの現状も。



 翌日の昼休み。
「今日もご一緒させて下さいませ」
 笑顔のまどかとともに現れた四角い風呂敷包み。
 ……なんか昨日よりデカくないか?
 まどかが風呂敷の結び目を解くと――
 ……中から4段の黒塗り重箱が現れた。
「一段増えてる……」
 思わず呟いた俺にまどかは笑顔を返す。
「想いが詰め込みきれませんでしたので」
「それはどうも……ありがとう」
 うーん。この状況は如何なものだろう……。


「ってかさ、桂、どういうつもりなの?」
 食堂から教室に戻る道すがら、考え事をしていた俺は、コガタケの言葉に不意に現実に引き戻される。
「えっ、何が?」
「二股じゃね? コレ」
 キクと侑も頷いている。
「やっぱ、そうなるのかな……」
「好きです」とか、「付き合ってください」って言われたわけじゃないし……と思っていたが、これはやっぱ明らかに好意を示されてるよな。
「城ヶ崎さんだっていい気しないんじゃね?」
 コガタケの言葉が、俺の中に潜在する微かな疑念を呼び起こす。
「……そうかな」
 はたしてそうだろうか。あやめちゃんはどう思うんだろう。
 意外に全く気にしなかったりするんじゃないだろうか……。
 
 
 
 あやめちゃんと桐生とのいつも通りの帰り道。
「夏目せんぱーいっ!!」
 なんかものすごく遠くから呼ばれた気がしたが……。
 振り返ると、一人の女子生徒が駆け寄ってくる姿が目に入る。
 あの髪型と、手に持った四角い風呂敷包み。
 まどかちゃんだ。間違いない。しかも本気の走りだ……。
 あっという間に追いついてきたまどかは、軽く息を切らせながら明るく言う。
「夏目先輩、一緒に帰りましょう!」
 えっ? それはちょっと――
「まどかちゃん。部活があるんじゃない?」
 なんとか断る理由を探してみる。
「今日から一週間、剣道場が工事のため使用できないんです」
 あぁそういえば、そんなお知らせが掲示されてたっけな。
「城ヶ崎先輩、桐生先輩、ご一緒させていただいてよろしいですか?」
「えっ?」
 いきなり話しかけられ困惑したような表情で俺を見つめるあやめ。まどかの言葉など全く聞こえてないかのように無反応な桐生。
 俺は、断ろうと開きかけた口をふと閉じる。
 あやめちゃんはどんな態度をとるんだろう。それが気になったのだ。
 あやめは俺が何も言わないのを見て取ると、
「……うん。いいよ」
 と、小さな声で言う。
 やっぱ。そうか……。
 でも、あやめちゃんの性格からいって断わることはできなさそうだし、これはまぁ仕方ないよな。
「ありがとうございます!」
 屈託ない笑顔を見せるまどか。
「ゴメン。一週間だけだから」
 あやめにそっと耳打ちする。
「……うん」
 微かに笑みを浮かべるあやめ。
 
 そう、たった一週間。
 それが過ぎれば、また今まで通りちょっとおかしいけど慣れ親しんだ日常が戻ってくる。
 そんな風に俺は簡単に考えていたのだ。
 その時には、まだ。

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