025


「なんで平日なのにこんなに人いるんだよ……」
 空港のあまりの人の多さ、広さに愕然とする。
 こんな中からあやめちゃん1人を探しだすことなんてできるのか?
 いや、できるできないじゃない。探し出すんだ。絶対に。
 時計の針は11時を指している。
「キク、どこに行けばいい?」
「チェックインカウンター。そこで必ず捕まえられる。まだチェックインしていなければだけどな」
 冷静なキクの言葉に気を取り直し、国際線出発ロビーへと急ぐ。
 エスカレーターを駆け上がり、「すみません!」を繰り返しながら、スーツケースを引く人々の間を抜けて。



「桂、早く!」
 一足早く目的のカウンター近くに辿り着いたコガタケの声。
 その指の指し示す先にはチェックインを終え、カウンターから離れようとしている絵に描いたような美形家族。
 その真ん中にいる、一際目を引くその姿は間違いない、あやめちゃんだ。
「あやめちゃん!!」
 息も絶え絶えに叫ぶ。
 その声に足を止め振り返るあやめ。
「えっ……どうして……?」
 驚きと戸惑いの混じった表情。
 どうしよう。こんな時、何て言ったらいいんだ?
「行くな!」か?
 いや、そんなんじゃダメだ。
 もっとあやめちゃんが決定的にこちらに残りたいと思えるようなことを言わなきゃ。
 でも――俺はあやめちゃんを引き止められるだけのカードを持っているんだろうか。
 大体俺に出来る事って小説のエロ部分を書くこと。
 それすら必要ないってことなら、もう……。
 いや、でも何かきっとあるはずだ。
 俺が小説を書く以外に出来ること。俺にしか出来ないことが。必死に考えを巡らせる。
「桂、なんか言えよ」
 コガタケが耳打ちする。
 わかってるって。
 だけど、言うべき言葉が思い浮かばない。
 どうしよう、時間がない。
 焦り、意味もなく周りを見回す。
 心配そうな表情を浮かべるコガタケ、キク、侑。
 そして相変わらず無表情な桐生――

 ……そうだ、あった。

 あやめちゃんのために俺だけが出来ること。
 俺にしか出来ないこと。
 そして、あやめちゃんが喜んでくれて、こちらに残りたいと思ってくれること。
 あやめちゃんを引き止めるにはコレしかない!
 迷いはなかった。

「桐生、ゴメン!」
 言うと同時に、桐生の首に両腕を回し引き寄せる。
「……えっ?」
 困惑した表情を浮かべる桐生。
 だが、俺はかまわず――
 その唇に強引に自分の唇を押し当てる。
 驚き、逃れようと必死にもがく桐生。ああもうじっとしてろって!
 桐生を必死で押さえつける俺の頭に、ふとある不安がよぎる。
 こんな子供騙しなキスじゃあやめちゃんの萌えを満足させることは出来ないんじゃないか?
 なんたってあやめちゃんの小説は18禁だ。エロも充実。これは書いている俺が自信を持って断言できる。
 だが、さすがに俺もそこまでは出来ない。書くことはできても実際にするのは無理だ。
 何があっても絶対に。
 俺が出来るのは――
 ここまでだ!!
 俺は、桐生の首を左腕でしっかりホールドしたまま、右手を下顎の方に移動させる。
 えっ、まさか! と驚愕の表情を浮かべる桐生。
 すまない桐生。その悪い予感、多分大正解。
 俺は桐生の下顎をつかみ、無理やり口をこじ開けると、思いっきり――

 そう、俺の本気を、あやめちゃんへの想いの深さを見せてやる!
 必死だった。周りの喧噪すら気にならない。
 とても長い時間が流れた気がした。
 実際には数分だったと思うが。
 もう充分だろう。濃厚なキスシーンを演じきった俺は唇を離し、桐生を開放する。
 その場にくずれるようにしゃがみ込む桐生。
 ホントすまない。このお詫びは必ず――と言おうとしたところで……俺は周囲の異変に気付く。

 なんか、妙に静かなような……。
 
 恐る恐る顔を上げた俺の目に映ったのは、まるでストップモーションのように動きを止めた人々。
 ポカーンと口を開けたコガタケ。怯えた表情を浮かべる侑。彫刻のように固まるキク。
 チェックインカウンターのお姉さんや通行人もみな呆然とした表情。
 そして肝心のあやめちゃんは――
 大きな瞳をぱっちりと見開き、瞬きもせず俺を見つめている。かなり驚いている様子だ。
 なにがなんだかさっぱりわけがわからないといった表情。
 だが、それ以外の感情は一切読み取れない。
 あれ? 予想していた反応と違うような……。俺、なんか間違えたかな。
 ってか、この空気どうしたらいいんだ?
 手を叩いたら、みんな動き出したりするのだろうか。催眠術を解くみたいに。
 とりあえずやってみよう。と、大きく広げた腕を横からぎゅっと掴まれる。見ると、侑が心配そうに俺を見つめている。若干涙目で。
 静寂の中、響く侑の震える声。

「……桂、どうしちゃったの?」

 その声が合図だったかのように我に返った人々が動き始める。
 両親に名前を呼ばれたあやめちゃんも、ためらいがちに背を向け歩き出す。
 俺は追いかけることもできず……ただその後姿を見送る。
 次第に広がってゆく2人の距離。
 ふと、あやめちゃんが立ち止まり振り返る。そして、俺のほうを見て何か言おうとするが――諦めたかのように小さく溜息をつくと、微かに微笑み浮かべ小さく手を振る。
 そして、踵を返し、両親のもとへ駆け寄っていく。
 その姿はすぐに人ごみに飲み込まれ見えなくなって……。
 俺はあやめちゃんが消えていったあたりを見つめ続ける。なすすべもなく。
 立ち尽くす俺。だが、感傷的な気分は一瞬にして断ち切られる。キクの氷のように冷たい声によって。
「さ、撤収するか」
「そうだな」
 答えながら、俺の首根っこをつかむコガタケ。
 えっ? なに、この扱い。
「ほら行くぞ、バカ」
 そして、俺は早々にその場を後にする。
 ……コガタケに引き摺られるようにして。



 海上空港のスカイデッキは風が強い。冷気をはらんだ風が容赦なく吹き付ける。
 だが、今、それ以上に冷たいのは友人達の視線である。
「俺は、桂はてっきり城ヶ崎さんを引き止めるために来たんだと思ったんだけど。何アレ? 交際宣言?」
 あきれたように言うコガタケ。
 いや、俺としては、出せる力の全てを出し切って、全力で引き止めたつもりだったのですが。
「それとも、別れた後もせめて記憶に残ろうとする作戦? だったら大成功かもな。多分城ヶ崎さんは桂のこと一生忘れねえよ。気の毒にな。最後にあんなもの見せられて」
 いや、大変喜んでいただけるのではないかと思ったのですが。
「どういう思考回路を辿ったらあんな結論に行き着くんだ? まあバカもあそこまで突き抜けるとかえって清々しいけどな」
 そして相変わらず辛辣で容赦ないキクのお言葉。返す言葉もございませんです。はい。
 まさに、フルボッコ状態だ。俺。
「城ヶ崎さんのご両親も固まってたよねー」
 しみじみと言う侑。
 それについては、非常に失敗したと思っている。今後、合わせる顔がない。まぁ合わせる機会もないだろうが。
「桐生も災難だったよな。口直しに飲む?」
 コガタケが差し出すいちご牛乳を、
「……甘いのダメ」
 と断る桐生。
 そんな中、視界に捕らえていた白い機体が遂に動き始める。
「離陸するね」
 侑の言葉に頷く。
 徐々にスピードを上げ、轟音をたて浮き上がる白い機体。
 俺はただぼんやりと、次第に高度を上げ、小さくなっていく飛行機を眺めていた。
 やがて、それが点のようになって消えてしまっても、ただじっと。
「さ、帰るか」
 コガタケに肩を叩かれ、我に返る。
「……ああ」
 終わったんだな……。俺はもう一度あやめちゃんが乗った飛行機が吸い込まれていった空を見上げる。

 そう終わった。
 ……色々な意味で。

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