017


 やっと辿り着いた……。
 電車で2時間半、そして更にそこから1時間に1本しかないバスで40分かけて辿り着いたペンション。
「隠れ家的な所だよ」
 と、直前まで詳しい場所を教えなかったのは、侑の作戦だったんだろうか……。
 小洒落た建物を見つめ立ち尽くしていると、中からオーナーらしき人が出てくる。
「こんにちは。あの、俺――」
「あぁいらっしゃい。侑から聞いてるよ。ちょっと変な桂君ね」
 ……侑、余計な修飾語つけるなよ。
「仕事の詳しい事は、律が教えるから」
 と、オーナーはペンションの中に招き入れると、食事をテーブルに運んでいた青年を親指で指し示す。
「あ、俺、高柳律。侑とは従兄弟ね。歳は2コ上になるかな」
 律さんはこちらを見ると人なつこそうな笑顔を浮かべて言った。

 バイトは楽しかった。
 オーナーも律さんも気さくでとてもいい人達だったし、それに朝から晩で体を動かしていると余計なことは考えずにすみ、夜も疲れてさっさと眠ってしまっていた。
 あやめちゃんからは一切連絡はなかったし、俺も自分から連絡するのはなんか癪だったので、メールすらしていない。
 このままフェードアウトするのかな……でもそれもしょうがないかなと思っていた。

「夏は女の子が可愛く見えていいねぇ。ほら、あの子なんて特Aランク!この夏では一番だね」
 律さんが掃除をしながら窓の外、ビーチボールをしている集団の中の1人を指差す。
「うーん、そうかなぁ……。なんか軽そうじゃないっすか?」
「軽い方がいいじゃないか!夏なんだし!!」
 律さんが力強く言う。
「ソレ意味通ってないっすよ。気持ちはものすごく伝わりますけど」
 苦笑いする俺を、律さんがじっと見つめる。
「あのさぁ、前から思ってたんだけど、桂ってかなり理想高いよね」
「そうかなぁ……」
「もしかして彼女って美人?」 
「ええまぁ」
 あやめちゃんはまごうことなき美少女だ。
「へえー、見たいなぁ。連れてきてよ」
 全く信じてなさそうな口ぶりだな。
「それが今、ちょっと揉めてて……」
「あぁ俺もよく彼女とケンカするんだよね。彼女気が強くてさー。桂の彼女も?」
「いや、そんなことないですよ。性格は……かなりいいと思う」
「可愛くて性格もいい彼女と何を揉めてるの?」
 不思議そうに尋ねる律さん。
「それは……」
 ……口が裂けても言えねぇ。



「今日でバイト終了だけど、桂はこの後どうするの?」
「もうしばらくいようかなと思って。なんかここの方が宿題はかどりそうだし」
「何にもないからね」
 律さんが笑いながら言う。
「僕達は8月の終わりまでいるから、まぁのんびりしてってよ」
「ありがとうございます。多分あと2〜3日いると思います」
 急いで帰る必要もギリギリまでいる必要もないし、それぐらいが妥当だろうな。



「こんにちはー。あーっ、りっちゃん久しぶりー」
 宿題も大方片付き、そろそろ帰ろうかと部屋で荷物をまとめていると、聞き覚えのある声がする。
 えっ?もしかして――ドアを開け階下を覗くと
「桂、遊びに来たよー」
 と侑が手を振っている。その背後には、コガタケとキクもいる。
 慌てて階段を駆け下りる。
「侑!それにコガタケとキクまで。どうして!?」
「そりゃあもちろん親友の桂に会いに来たに決まってるじゃないか」
 コガタケが俺の両肩に手を置き、大きく頷きながら言う。
「ありがとう。わざわざこんな遠くまで……」
 思わぬ友人の来訪に、やっぱ持つべきものは友達だなと胸を熱くしていると、キョロキョロと辺りを見回していたコガタケが、
「で、城ヶ崎さんは?」
 と尋ねる。
「来てないよ」
 あっさり答えた途端、和やかな空気が凍りつき、3人の動きが止まる。
「せっかく城ヶ崎さんの水着姿見に来たのに……」
 ちょっ、コガタケ。さっきの言葉はなんだったんだ?
「1日無駄にしたな」
 キク、それひどくね?
「残念だねぇ……」
 侑、お前まで……。
「お前ら……」
 目的はそれかよ。
「……帰るか」
「おいっ」
「まぁそんなこと言わずに、せっかく来たんだからゆっくりしてってよ。まだクラゲもいないから、泳げるし」
 シャチフロートやビーチボールや浮き輪を抱えてやって来た律さんが笑いながら口をはさむ。
 顔を見合わせる3人。
「まぁそうだな」
「せっかく来たんだしね」
「そういえば泳ぐの久しぶりだな」



「楽しかったな」
「だろ?来てよかっただろ?」
 結局、思いっきり遊んで終電を逃してしまい、泊まっていくことになった3人。
「俺も明日一緒に帰るから」
 という俺の言葉に、
「ってことは桂と城ヶ崎さんってホント終わっちゃったの?」
 コガタケが興味津々に尋ねる。
「さあな」
 今思うと始まっていたかすら怪しい気がする。
「そっかぁ。桂と一緒にいれば、城ヶ崎さんもクラスになじめるかなって思ったんだけどね」
 と、残念そうに言う侑。
「そんなこと言われたって……」
「まぁそれは2人の問題だからねぇ」
「所詮、桂と城ヶ崎さんじゃ住む次元が違ったのかもな」
 と、キクがそっけなく言う。
「あぁそうかもな」
 確かにあやめちゃんは二次元の住人だ。
「結局、勉強会して遊園地に行っただけ?」
 コガタケの問いに、
「あと、あやめちゃんの家にも行った」
 と答える。
「ええっ、マジで?部屋とかどんなだった?」
「どんなって……」
「なんかこうピンクとか白って感じするよね」
 と侑。
「……確かに本棚(の中身)は思いっきりピンクだったな」
「『今日は、うち両親旅行でいないから』とかいう展開はなかったわけ?」
 コガタケがふざけて女っぽい声色を使う。
「両親は海外勤務でずっといないんだって」
「ふうーん、じゃあ今も家で1人きりなんだ」
 何気ない侑の言葉に、家でPCに向かっているあやめちゃんを想像する。
 多分今も1人っきりで小説書いてたりするんだろうな。
 そういえばあやめちゃんって、学校でもみんなと騒いだりするタイプじゃないし、多分その小説サイトが唯一の大きなつながりだったりして――
 あやめちゃんにとっての自分の小説の読者って、俺にとってのこいつらと同じようなものなのかもな……。
 コガタケ、キク、侑の3人の顔を順番に見つめる。
 …………。
「……キク、今パソコン持ってる?」
「モバイル用のならあるけど」
 と、キクはバッグから小型のノートPCを取り出して見せる。
「それ貸してくれ」
「え?ああ、別にいいけど」
 不思議そうな表情を浮かべたキクから、PCを受け取る。
「ゴメン、俺ちょっと用事があるから部屋戻るわ」
 部屋に戻ると早速パソコンを立ち上げ、キーボードを叩いてみる。
 ……なんとかなるかもしれない。
 俺は携帯を取り出した。

「夏目君……?」
 携帯から聞こえる困惑したようなあやめの声。
「あやめちゃん、パソコン直った?」
「……うん、先週修理から戻ってきた」
「データは?」
「……ダメだった」
「小説は書けた?」
「まだ……」
「じゃあさ、手伝うから。明日、これから言う所にノートパソコン持って来て」
「えっ?」
「明日、都合悪い?」
「ううん。大丈夫。ありがとう……」
 あやめがか細い声で答える。
「それじゃあ明日――」
 そのまま電話を切ろうとした俺は、重大な事を忘れていた事に気付く。
「あっ、あやめちゃんちょっと待って!あと水着!水着も忘れずに持ってきて!!」



「えっ?桂は一緒に帰らないの?」
「うん、ちょっと用事が出来ちゃって」
 翌朝、3人を見送った後、部屋でPCのキーボードを叩いていると、
「桂、ものすっごい美人が来た!あれはさすがに桂もSランク認定間違いなしだと――」
 と、部屋に駆け込んできた律さんが興奮気味にまくし立てる。
「早いな」
 呟き、部屋を出て階下を覗くと、真っ白なワンピースに麦藁帽子をかぶったあやめが気まずそうに立っている。
「あやめちゃん」
「夏目君……」
「えっ!?もしかして、か、彼女!?」
 律さんは素っ頓狂な声を上げると、俺とあやめちゃんを何度も交互に見比べる。
 そして大きく首を横に振ると、あやめちゃんに向かい、ものすごく真剣な表情で尋ねた。
「……どうして?」

「とりあえず書けたのはこれだけ。残りは急いで書くから、書けた分から直していって」
「わかった」
 2人の初めての共同作業がホモエロ小説作成……。
 いや、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
 とにかくこれを完成させなくちゃだよな。
 時計の針は午前10時30分を指している。
 8月29日は残り13時間30分。
 間に合うのか?いや、間に合わせるんだ。
 隣のあやめをそっと盗み見る。物凄く真剣な表情だ。
 微かに潮騒が聞こえる部屋の中、カタカタとキーボードを叩く音だけが響く。

 どれぐらい時間が経っただろう。
 ノックとドアの開く音に顔を上げると、
「夕飯の準備出来たけど……君達、なにやってるの?」
 律さんが不審そうな表情を浮かべている。
 確かに2人並んで無言でPCのキーボードを叩いている姿は異様だろうな。
「これはあのちょっと……」
 言葉を濁し、あやめに
「どうする?休む?」
 と、問いかける。
「もうちょっと続ける」
 キーボードを叩きながら、顔も上げずに答えるあやめ。
「すみません。夕飯はきりがついたら戴くんで、そのまま置いておいてください」
「あぁ。じゃあ食べたい時に声かけて」
 もう一度PCに向かっている俺達を見ると、首を傾げながら戻って行く律さん。
 何を書いているのか知ったら、もっと不思議に思うんだろうけどな。



 時計を見る。
 23時55分……大丈夫か?
 とりあえず、2日目までの掲載分は書き終えた俺は、キーボードを叩き続けるあやめを見守る。
 マウスのスクロールボタンの上で滑らかに伸曲する細く長い指。 
「うん、これで大丈夫!あとはアップロードっと」
 言うと同時にあやめがカチッとマウスをクリックする。
「完了!」
 時計を見る。23時58分。
「ま、間に合ったぁ……」
 ほっと胸を撫で下ろしていると、
「ありがとう、夏目君、ほんとにありがとう!!」
 あやめが抱きついてくる。
 ちょっ、む……胸がっ、メロンがっ、理性がっ!
 慌ててあやめを押し戻すと、大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせるために話題を振る。
「あ、あのさ、前から思ってたんだけど、その夏目君って呼び方なんとかならないかな」
「えっ?」
「いや、やっぱ付き合ってるんだから、もっと親しげに呼んでくれた方が嬉しいかなって」
「じゃあ……」
 あやめが少し照れたような表情を浮かべる。
「なつめっち」
「……は?」
「ダメ?」
「いや、ダメじゃないけど……」
 なんか方向性違わないか?普通こういう場合は名前呼びだろう。桂とか桂君とか。
「もうずっとそう呼んでで、それ以外だとピンとこなくて」
 あぁ、小説の登場人物をってことね。
「……ちなみに桐生のことはなんて呼んでるの?」
「桐生君」
 勝った!
 ……って問題じゃないか。
 なつめっちかぁ……まぁ「夏目君」に比べたら親しげではあるかもしれないけど……。
 ニコニコと微笑むあやめを見つめる。
 まっいっか。ちょっとずつ前進して行けばいいもんな。

「そう言えば、おなかすいたな」
「うん、そうだね」
 ほっと一息ついた途端、空腹感が襲ってくる。
 そういえば昼食も夕食も食べていないもんな。
 律さんには声をかけてって言われたけどこの時間じゃ……。
「ちょっと下を見てくるから、待ってて」
 階下に下りると、オーナーの部屋も律さんの部屋も電気が消えている。
 大きな音を立てて、起こしちゃうと悪いし……。
 少し考え、食事を部屋に運ぶことにする。
 テーブルの上の食事をトレーに乗せると、足音を立てないようにゆっくりと歩く。
 かなりのスローペースで戻って来て部屋のドアを開けると、
「……あやめちゃん?」
 あやめがノートパソコンのキーボードの上に突っ伏したまま寝ている。
 そりゃそうだよな。昨日電話したのも遅い時間だったし、それから準備して、始発の電車で数時間かけてやって来て、そのままぶっ通しで10時間以上小説書いてりゃ疲れるよな……。
「おーい、顔にキーボードの跡ついちゃうぞ」
 返事はない。
 うーん、これは朝まで起きないかもな。
 暫し迷った後、あやめを抱き上げ、そっとベッドに下ろすと、
「ったく、そんなかわいい顔して寝てると襲っちまうぞ、コラ」
 ため息混じりに呟く。
 なんか白雪姫に思わずキスしてしまった王子の気持ちがわかる気がするな。
 …………。
 俺、今回かなり頑張ったよな。ちょっとくらいごほうびもらったっていいよな。
 眠っているあやめの唇に顔を近づける。
(……意識ない時っていうのは反則じゃねえか?)
(何言ってんだよ。チャンスじゃん。行っとけって)
(いや、でもやっぱ初めてはそれなりに思い出に残るような――)
(そんな事言って、次のチャンスなんていつ来るかわかんねえぞ)
 ああっ、もう!
 俺は葛藤を振り払うかのように頭を振ると、そっとあやめの前髪をかき上げ額にキスをする。
 これくらい、これくらならいいよな。
 はぁ……。
「おやすみ、あやめちゃん」
 声をかけ、静かに部屋を出ると、後ろ手でドアを閉める。
 ったく――
 ……起きてんじゃねえかよ。
 自分の部屋に向かいながら、あっという間に真っ赤に染まったあやめの顔を思い浮かべる。
 あの程度であんな反応って事は、それ以上の事したらどうなるんだ?
 前途多難だな。苦笑いするが悪い気分じゃない。
「さぁて、俺も明日に備えて寝るかな」
 そう、明日は遂に遂にあやめちゃんの水着姿がっ。
 まあ色々紆余曲折はあったが、結果オーライだよな。

トップページ 小説ページ 目次ページ 前のページ 次のページ


QLOOKアクセス解析

inserted by FC2 system